『北越雪譜』(初編天保八年〈一八三七〉刊、二編同十三年〈一八四二〉刊)は、越後塩 沢の鈴木牧之が江戸の山東京山の協力を得て出版した雪の本として知られている。地方文人 による随筆とも地誌とも民俗的記録とも、あるいは気象学的知見をもつ雪国百科ともいわれ ることがあるが、私は、これを江戸中期以降の地方と中央の文化的交渉、そして出版文化の 成長とトレンドの変遷が生み出した歴史的事物として捉えている。近著では、この本がその 素案から出版に至るまでの 40 年の、そして 5 人の人気作家を巻き込んだ経緯・曲折を明ら かにし、この板本に盛り込まれた雪国情報、読者を引き込むためのプロのノウハウや仕掛け を分析した 1 。文芸作品において異界や田舎への興味が深まる中で、雪国文人牧之が発した 問い合わせに対し、山東京伝、岡田玉山、鈴木芙蓉、曲亭馬琴(部分的には十返舎一九も) がそれぞれの思惑で応じる。しかしいずれも実現はせず、最後に京山の手に移って地方と中 央の協働がついに結実。実に稀有な経緯をたどった都鄙合作出版物である。実際、京山は書 簡の中で自分を江戸の料理人、牧之を越後からの材料の提供者に喩えて、こう述べている。 越後の鈴木より国の名物とて、魚類青ものを山東へおくり、是を料理して江戸の人および京浪花 の人にも、口にあい候やうに振舞候へとて・・・献立をして、種々料理し膳立までして、いざ喰ひ給 へといふやうなものにて候 。
では、雪国文人牧之はどんな素材を送り、中央のプロ作家は何をどう選んで「雪の本」を 編もうとしたのか。出版にこぎつけるまでのプロセスは極めて複雑なので、興味がある方は ぜひ拙著を読んで全体像を知っていただければと思うが、この小論では、京伝・京山と馬琴 がそれぞれの「雪の本」企画のために出した広告文を見ることで、彼らが何をもって読者の 目を雪の世界に惹きつけようとしたかを考えたい。